小野梅園はねず踊り
小野梅園 はねず踊り

はねず踊りとは

薄紅色のことを古くは「はねず」といい、 この梅も同じ名で呼ばれていた。特に山科小野の真言宗善通寺派曼荼羅寺隨心院門跡の紅梅は古くからこの名で親しまれていたのである。
 昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに、百夜通いの悲願を込めて通い続けたにもかかわらず九十九日目の大雪の夜についに代人を仕立てたのが運のつきで、少将にはもはや小町の姿を求めることは出来なくなった。
 その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃を老いの身も忘れたように里の子供たちと楽しい日々を過ごしたという。また、少将が通い続けた日数を小町が榧(かや)の木の実で数えていたという伝説もあるが、今も隨心院の周辺に数株の古木が繁っている。はねず踊りは、この隨心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、童謡や民謡の性質上、これがいつの頃から歌われ踊られたかを知る由もない。
 しかし、今から五十余年も前の隨心院の「はねず」が衰えはじめる頃までは毎年「はねず」の咲く頃に、里の子たちが家々を訪ねて門内の庭で踊っていたことは明らかである。隨心院の「はねず」が見事によみがえった昭和48年の春、はねず踊りの復活を希う人々の声にこたえて、古老の記憶をたどりながら、五十年前の秋と曲と振りとを再生させようと歌詞の不備を補った上で、作曲家 大橋博氏舞踏家 森本博子氏の協力を得て、ついによみがえることができたのである。
 当院では毎年3月にはねず踊りを開催しています。日時等については、当院まで気軽にお問い合わせ下さい。

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